数日前から報道されていた奈良クラブの監督が辞任した。本人からの契約解除の申し入れがあったという。解雇ではなく自らの辞任ということではあるが、監督と選手との間に言葉の行き違いが生じ、選手が具体的な改善点の説明を強い口調で求めたところ双方の意見が強くぶつかる場面が発生。周囲の選手およびスタッフの仲介により、場は一度収まるが、その後再び監督と選手が接触する中で、監督の頭部が選手の身体に当たる行為を確認したという。(FOOTBALL ZONE編集部の記事より) 監督と選手の関係は、大人だけのことではなく、幼稚園児でも小学生でも、中学生、高校生でもすべての年代で、重要な問題である。つまり信頼関係があってのチーム作りといえるからだ。日本では昔から子弟関係という言葉があるくらい、監督と選手の関係が同等ではなく、監督は、字のごとく監視する意味をもつほど、上に立つ立場だ。簡単に言うと『黙って俺の言うことを聞け』といわんばかりである。正直言うと、私もそんな時期があったと反省している。だからこそ、その間違いを二度と起こさないように気をつけている。これはサッカーに限ったことではない。家庭でも、職場でも一緒だ。父親が、社長がといったことではない。パワハラということばが聞かれるようになって何年になるだろう。雇用主だろうが、なんだろうが、人はみな平等であるべきである。親子関係だろうが、小中高の先生と生徒の関係だろうが、平等であるべきにかわりはないはずだ。一人の人間としての尊厳を尊ぶべし。冷静になれば、だれでも分かっている。しかし、一時の感情で、冷静さを失うことがある。人間の弱さだ。自分自身のその弱さを知った時、人は初めて己の愚かさを知ることになる。今の自分自身も己の愚かさに何度も失望したことで形成されてきた。 たった、その一言で人を傷つけることがある。サッカーの試合中でも冷静さを失うと暴言に近い言葉が出ることもある。試合中のコーチングの声はなかなか届かないし、真意を正しく伝えることが難しいという理由で、試合中の言葉がけはできるだけ短いものにしたり、選手が気持ちがよくなるような言葉がけをするようにしている。具体的な戦術などは、ハーフタイムにしている。プレーしている最中に『〇〇しろ』『〇〇だ』といった指示、強制は選手の判断を鈍らせるだけだ。選手も冷静になれるハーフタイムにするべきだ。だから私は、試合中静かにしているのは、そんな理由があるからだ。特に低学年の試合では、よりよい人間関係を築くために、優しいおじいちゃんでいたい。オシムおじいちゃんは言った。『奥さん、元気か?』いつも家庭のことを気にかけてくれていた。