先日、2,3年生が平賀で6人制の交流試合を行った。1チームのみのエントリーのため、子どもたちにどうすればいいか相談すると、それぞれ2チームに分けて、前半、後半を入れかえて試合をするということになった。同じくらいの力になるように二人でじゃんけんをして、じゃんけんで勝ったチーム、負けたチームに分かれた。しかし、それでも7人、8人とベンチの子が出てしまうので、休む順番を決めて試合をすることにした。休む順番は子どもたちで決めてもらうことにした。全部で5試合。最後の試合で事件が起きた。 私は、2つの学年の試合をいったりきたりしていたので、その事件がどのようにして起きたのかは見ていない。泣き出した子がいたので、どうしたのかとそばで見ていた。一人の子が私のところに報告に来たが、何が起きたか最初から見ていなかったので、干渉せず傍観していた。コーチは、『けんかばかりだから試合は出れません。』と宣言。当然私もそうするだろう。結局、けんかをしてしまった前半組は試合に全員が出れず、後半組は前半、後半両方試合に出て、みんなで力を合わせて勝利を手にした。 双方のいい分がある。誰が試合に出て、誰が休むか。やり方や考え方は様々だ。話し合いはいい。しかし、それが暴力やけんかになるのはいけない。そんなことは、子どもたち自身が一番わかっている。日本では、こんな時、先生や保護者が子どもたちの中に入って仲裁する。しかし、どこで論点が相反するようになったかが分からずに仲裁はできない。アメリカでは、子どものけんかに親ははまらない。
ここで、インターネットからアメリカの保護者の関わり方を紹介しよう。
アメリカ的に言うと、「ドラマ」が起こる。
誰が誰と遊んで、誰を入れてくれない、とか
誰が嘘をついた、とか、何とか。
私からしたら、女の子同士でよくある、
割とどーでも良いことなのだが、当事者の子供達にしたら
嘘をつかれたと言われたら悲しくなるし、
仲間に入れてくれない、となると何で?と泣く。
ここで、The 日本人の私は、ついつい仲裁に入ってしまって
「皆で仲良く遊びなさい」と言ってしまうのだけれど、
ふと気づくと、その子達の親は誰一人関与してこない。
はて?と思って、ふとしたタイミングでちょっと聞いてみた。
「あの後、大丈夫だった?」と。
すると、思わぬ答えが返ってきたのだ。
「遊びたくない子と無理して遊ぶ必要はない」
「怒りたければ怒ればいいし、それで自分が気まずくなったら自分で解決しに行くでしょう」と。
なるほど。
日本人の感覚だと、そこにどんな理由があれ、
子供達が喧嘩をしている場面に遭遇したら
皆で仲良く遊ぶことに重きを置いてしまうが、
アメリカではそうではないんだ。
皆で調和を取る(これって結局誰かが我慢することになるんだもんな)んではなく、遊びたい時に遊びたい人と遊ぶ、理不尽だと思うことがあったら
自分で解決する。その為に距離を置くこともおおいにありうる。
そういうことなんだ。
ついつい、調和が一番平和な道だと思って
「合わせる」「我慢する」ことを子供達に教えがちな
The 日本人ママの私にはとっても目から鱗な考え方だった。
そういえば、学校とかにボランティアに行くと
アメリカでは一人で行動している子が比較的多い。
娘がkingergartenに通っていた時も、初めての義務教育なので、
私もついつい心配して「今日はお昼休み、誰と遊んだの?」とよく聞いていたのだが、たまに「一人で歩いてたー」と言ってくることがあって、
「お友達と喧嘩しちゃったのかな?仲間外れにされちゃったのかな?」と
必要以上に心配したものだが、そんな風に聞くと決まって娘は
「だって、一人でいたかったから、遊ぶ気分じゃなかったから」と返してきていた。
そっか、娘はもうとっくに「自分」をちゃんと持っていたんだな。